ドイツのユニークな“まちづくり”
左三角
前に 上三角目次へ 三角印次へ

2 イメージ改良のまちづくり

フランクフルト

 

改行マークさて次のドイツの“まちづくり”の例はフランクフルトである。

改行マークここでは「イメージ改良の“まちづくり”」をテーマとして、 この町を見る事にしよう。


高層のあるスカイライン

画像m02-01
図1 高層ビルのあるフランクフルトのスカイライン
改行マークフランクフルトは国際空港があり、 日本からの旅行者はヨーロッパではまずここに着くのでご存知の方も多い事と思う。

改行マーク人口は65万、 ドイツで5番目に大きい都市である。 。

改行マークフランクフルトはドイツの都市にはあまり見られない高層ビルのある町である。

改行マークフランクフルトのイメージ改良の“まちづくり”では、 1970から90年代にかけてフランクフルト市の文化局長をつとめ、 短い間に町のイメージを一変させたヒルマー・ホフマンという人を紹介する。

改行マーク戦後、 フランクフルト市の評判はあまりかんばしいものではなかった。

改行マークフランクフルトは、 ドイツ銀行とヨーロッパ銀行という超一流の金融機関の所在地であり、 いわゆる金融の町としての名声は自他共に認められてはいたが、 その反面、 「金儲けのみの町、 バンクフルト」あるいは「フランクではなくクランク(病気の)フルト」などと他の市民から蔑まれていた。 文化のない町であった。

改行マークフランクフルト市の社会党は1970年、 当時ミュンヘンの文化局長をしていたホフマンをここに呼んできた。 (文化局長は行政職ではなく政治職)

改行マークフランクフルトの文化局長に就任したホフマンがまず第1番に行なったことは「都市において、 文化は経済のためにも必要である」ことを市の議員達に認めさせることであった。 都市の文化を高めることに経済効果を表にたてた。 文化イコール贅沢、 浪費という概念を持つ政治家の頭を切り替えることがまず必要であった。

改行マーク「文化によって住環境、 余暇環境が改善される。 良い人材は良い環境に集まる。 良い人材は会社発展、 経済発展に不可欠である」という。

改行マークこうして市長を説得することに成功したホフマンは、 文化施設の強化に乗り出す事になる。 この活躍を数字でみてみると、 彼がフランクフルトに就任した当時、 当市の文化にたいする財政支出の割合は年間5%であった、 それが20年後に11.5%までに引き上げられている、 毎年0.5%ずつ増加してきたわけである。

改行マークそれによってフランクフルトは「文化のための財政支出」では統計上ドイツ第1位となった。

改行マークここで余談であるがホフマン氏をインタビューした折ドイツの都市の文化競争について話された事がある:「私(ホフマン)の目的はフランクフルトをドイツでの文化の首都にすることであったが、 その途中東西統一という変動があって、 現在はベルリンが文化の首都といえるであろう。 今、 都市の文化競争としてドイツの中で7つの都市ががんばっている。 ベルリン、 ハンブルク、 ミュンヘン、 ケルン、 フランクフルト、 シュツッツガルト、 ライプチッヒである。 そこで、 この中でどこがベルリンの競争相手かといえば、 まずミュンヘンであろう。 ベルリンの現在の多くの劇場、 美術館/博物館はこのミュンヘンとの競争意識によって作られたものである」。

改行マークフランクフルトでホフマン文化局長の行なった重要な作業に博物館建設がある。


博物館通り

画像m02-02
図2 マイン河沿いの美術館/博物館(地図出典:Stadt Frankfurt a.M.)
改行マーク図はフランクフルトの都心にある美術館/博物館の地図で、 ここには13館あげられている。 このほとんどは彼の代に新設あるいは整備されたものであるが、 後程になって特に「博物館通り」とよばれるグループは、 町の中央を横断して流れるマイン川の沿岸の地図番号1から8のものである。

改行マークここは緑の多い非常に環境の良いかつての高級住宅街であり、 この一帯の建物すべてが文化財として指定されていて、 建物の外形変化は許されず、 また新築はげんざいの空地のみが可能である。

画像m02-03
図3 ドイツ映画博物館(手前)と隣接するドイツ建築博物館
改行マーク最初につくられたのが、 地図番号4の「ドイツ映画博物館」とそれに隣接した番号5の「ドイツ建築博物館」である、 1984年竣工。

改行マークそれではそれらの建物を少し詳しく見てみよう。


ドイツ建築博物館

画像m02-04
図4 外装はそのままで内部がすっかり改造されたドイツ建築博物館
改行マークドイツのスター建築家の1人O.M.ウンガースの設計したもので、 既存の建物が博物館に適さないということから、 内部をすっかり取り払い、 新しい建物をもう1つ内部に建てた「家の中の家」という構想がとられている。

改行マーク美術館建設は単なる美術品の入れ物とか容器でなく、 建物そのものに美的価値のあるものであること、 という理念からフランクフルトの美術館/博物館建設では国際デザインコンペが行われ、 また世界的なスター建築家を指名して超一流の建物を作っている。

画像m02-05
図5 デラックスな工芸美術館
改行マークこうして作られたデラックス版にこの工芸美術博物館(地図の2)がある。 設計士はニューヨークのリチャード・マイヤーである。 彼特有の、 白色で統一された曲線と直角でつくられた幾何学的な建物はマイヤーがヨーロッパではじめて作ったものである。

改行マークここには公園のように大きな庭があり緑に面したレストランは格好の憩いの場所として市民から親しまれている。 1985年竣工。


ドイツ郵便博物館

画像m02-06
図6 ドイツ郵便博物館
改行マークドイツ郵便博物館(地図の6)はミュンヘンオリンピックの競技場の設計で有名なベーニッシュの手になるもので斜線と曲線を多く使った明るいモダンな建物、 1990年竣工。


シュテーデル美術学校

改行マークシュテーデル美術学校(地図の7)の美術館増築は寡作で知られるオーストリアのパイヒルの設計である、 玄関ホールがいい、 1991年。


その他の建物

改行マーク新しいこれらの博物館通りの建物に加えて、 その対岸、 近辺にさらにいくつかの従来館や新設の美術館/博物館が集まっている。 博物館通りの対岸の川岸にはユダヤ博物館(地図の9)、 その近くには同年竣工の前史博物館(地図の10)がある。

画像m02-07
図7 「博物館通り」から対岸、 都心のレーマー広場方向を見る
改行マーク博物館通りの対岸、 橋を渡った向かい側はレーマー広場、 フランクフルトの都心である。 この広場に面して既存の歴史博物館(地図の11)、 そうして思い切った細長い建物でレーマー広場とドームをつないでいるシルン美術館(地図の11と13の間)、 さらに道一本離れてハンス ホラインのすばらしい近代美術館(地図の)1991年、 がある。

改行マークこういった美術館、 博物館が都心の小さな範囲だけに14館集まっている。 フランクフルトの博物館はパリのセントロ・ポンピードゥーのような1つの大型モニュメントの建造物ではなく、 小型でひとつひとつが個性ある特別な建物の集積である。

画像m02-08
図8 マイン河岸の博物館通り
改行マークこれによってフランクフルトは「文化のある町」としてイメージがすっかり変わったのである。

改行マークこのホフマンの行なった美術館/博物館建設の根拠は、 彼の突然の思い付きではなくフランクフルトの歴史に基づいたものである。 戦前フランクフルトには22の美術館/博物館があった。 これが戦災で多くを失い「文化のない町」をかこっていたのである。

改行マーク現在、 ドイツでは「都市における住民のアイデンティティーの欠如」が問題になっている。 人々は町に対する愛着をなくし、 住んでいる場所への心のよりどころを失っている。 それに対しこのような町の立派な文化施設は心を豊かにし、 また、 それがあることは誇りにつながるものである。 これが市民の町に対する心のつながり、 アイデンティティーにつながっていくであろう。 文化サイドからの“まちづくり”でもある。

改行マークこのマイン河沿岸の博物館通りでは毎週土曜に名物のノミの市が開かれるので、 次回のフランクフルト訪問には覚えておかれるといいであろう。 それにもう1つ、 ドイツでも美術館、 博物館は月曜日が休館日である。

改行マークなお、 ヒルマー ホフマン氏はいまドイツゲーテ財団の会長である。

左三角前に 上三角目次へ 三角印次へ


このページへのご意見はE-Mail 春日井道彦

(C) by 春日井道彦
学芸出版社ホームページへ